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「こんばんわ。統括部長のフッキーです。 
みなさん、本年は誠にお世話になりました。今年も残すところ三日となりました。明日から一週間程、当社はお正月休みとなります。
 今年の最後なので、今日は社長にきていただいております。それでは、社長のムッシュの登場です」

 
「ボンジュール!どうもいつもお世話になっております。社長のムッシュです。 
 やあ、ことしもあとわずかとなりました。当社にとっては、大きな船出の年でしたが、いろいろと振り返れば、今年もたくさんの事件・事故などがありました。

 その中で今日は、私が気になったことを少々お話させてください。

 先日、毎年恒例の時事通信の今年のニュースベスト10なるものを発表しておりました。

 国内問題では、安倍政権の失脚がもちろん一位であり、その他にも自民の歴史的敗北や食品偽装問題。さらに、柏崎刈羽原発のトラブルの多発や歴史的猛暑などが上位を占めておりました。

 海外問題では、アメリカのサブプライム問題が一位で、続いて六ヶ国協議問題、原油高、イラク問題。さらに、中国の食品問題や主要国の代表交代のニュースなどがありました。唯一、嬉しいニュースとしては、ゴア氏のノーベル平和賞がありました。

 その中で注文したのは、海外問題の8番目のミャンマーでの邦人の殺害事件です。 

 あのミャンマーでの悲しい出来事は、日本だけでなく、世界も注目する大きな殺害事件だったはずです。

 それにも関わらず、日本問題として、10位内に入っていないというのはどうなのでしょう。これは、重複を避けるために、海外と国内のどちらかにしているんでしょうか。その辺がよくわからないのですが、いずれにしろ、もっと海外問題としてなら、もう少し上位のような気がしてなりません。

 これは、我々のようなメディアの立場からすると、決して他人事とは思えないのです。

 以前、あの有名な緒方貞子UNHCR(国際高等弁務官事務所)の代表を10年間勤めた最後の挨拶の最後、素晴らしいメッセージを残しております。

「みなさんにある言葉を最後にお勧めしたいと思います。UNHCRがこの50周年のキャンペーンに選んだ歌の中にある言葉。それは、リスペクト(尊重・尊厳)です。
 家を追われ、最も貧しい境遇にある人々を守らんとするみなさまの献身に尊厳を。難民に寄り添い、前線で人道支援に従事するものたちに尊厳を。
そして誰よりも、難民に尊厳を。ありがとうございました」


 私は、このスピーチの全文を読んだとき、もう感動してしまいました。

 このスピーチが行われた執行委員会に、当時の事務総長であったアナンさんも参加していたと言う。もちろん、最後の挨拶の後、会場にいた人々は皆立ち上がり、彼女に大きな拍手が送られたことは言うまでもない。彼女が残した功績は大きく、今は国際協力機構(JICA)の理事長にまで就任しています。

 私が彼女の言葉から引用すれば、こう言わせてください。

 “ジャーナリスト及びその思想であるジャーナリズムにも尊厳を”


 昨今、ジャーナリストに対する締め付けが厳しく、取材が困難になってきているのが現状です。

 世の中で起こって紛争や事件は、報道という手段によって大きくも小さくも扱われます。

 緒方さんは、ボスニア紛争の際、現地を切り盛りする特使にこんなことも言っています。

 「なるべく目立つように行動せよ」

 これは、メディアの注目がなければ国際社会は動かないし、援助活動も続けられないと判断から出た言葉です。

 このように、メディアを通じて、世論に訴えることは実に重要であり、その現場で取材するものは、まさに命を張って戦っているのです。

 そんな彼らにも少しでも尊厳を与えて頂きたい。

 これを、今年最後の言葉として、締めくくりたいと思います。みなさん、良いお年をお迎えください。そして、来年もどうかよろしくお願いします。それではこの辺で失礼いたします。オルボアール!」


 「社長どうもありがとうございました。
 いやあ、社長何か最後力入っていましたねえ。あんな社長見たの久々ですわ。少し考えさせられましたねえ。
 さて、私フッキーとしては、皆様に楽しんでいただける報道をもっとうに今後も取材を続けて参ります。
 来年も飽きずにお付き合いの程、よろしくお願いします。
 それでは、みなさん良いお年を・・・」 





 ※ なお、当社の概要については、2007年9月28日の報告をご覧下さいませ。

 
 
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12.29 (Sat) 03:29 [ 未分類 ] CM0. TB0. TOP▲
「みなさんこんばんは。統括のフッキーです。  
さあ、いよいよ今年も残すところ三日となってしまいました。

 今年最後の記事は、ご存知“ぷらっと日記”シリーズで閉めたいと思います。明日は、また御挨拶い伺いますが、今日は、まことチャンに登場していただきましょう。
それでは、お願いします」





 「どうもまことちゃんじゃ。
最後とは嬉しいね。今回は、湯島・本郷界隈に行っとったけぇ、ちょっく耳を傾けてちょうだいね。

 さてさて、冬の足音が近づいてきた頃、秋の歴史散策のため、湯島・本郷に行くことにしたんじゃ。このエリアは、文豪や学問の地を辿る有名なエリア。いっつもんように、ぶらっとホームに向かったんじゃ。 

 まず、降り立った上野駅じゃぁ、そろそろ本格的な寒さを告げるひやい風が耳朶に触れる。ここから、歩いて湯島駅まで颯爽と駆け抜けた。 

 天神下の交差点に来ると、春日通りを西に進んじゃ。ほいで、一本目を右に入って、ちさい路地を進んでいくと、さっそく旧岩崎邸庭園が見えてきた。 

 岩崎邸は、三菱財閥・岩崎久彌氏の美しい邸宅で有名なんじゃ。

 この久彌氏は、三菱の創始者じゃあの岩崎弥太郎氏の長男にあたり、東京・丸の内の開発や麒麟麦酒の創業に携わり、グループの活性化に役立った人物。

 本駒込にある六義園や江東区にある清澄庭園は、あんなぁが東京に寄付したもんじゃ。 

 この建物は、国の重要文化財に指定されとるんじゃが、運悪く改装中の看板が目に入ってきた。一部改装中らしいが、そがぁな中途半端なもんを見ることにゃぁ、納得がいかん。

 また今度にしょぉで。ほいで、無縁坂に向かったんじゃ。 

 071202_1008~01


 無縁坂は、森鴎外の名作「雁」の中で主人公が散歩する300m程の坂で、文学愛好家に親しまれてきたゆぅて聞く。 

 が、ほぃじゃが、かつてがどがぁなんじゃったか知らんが、今この目で見る坂は、何の趣も感じることもない平凡な坂道に過ぎなぁで。

 首を巡らすと、有名な坂道の取り扱い方が大げさで、肩透かしがやたら多い。まあ、かつてたぁ状況が変わっとるから仕方がないたぁ思うが、あまりにも美化しすぎた記事が多いんじゃぁなかろうか。

 そがぁなことを思いもって、岩崎邸の外周を一周すると、また春日通りに出た。
通りに出ると、正面に大きな鳥居が見えた。学問の神様、菅原道真公を祀った湯島天神なんじゃ。

071202_1014~01


 境内に入ると、本堂の正面通路の両脇にゃぁ、露店が軒を連ねとった。 

 本堂まで来ると、ちょうど結婚式をしょぉって、参拝客の視線を少なからず浴びとった。本堂の脇にゃぁ、願いが書き込められた絵馬が、千羽鶴を並べたかのごとく大きな壁ができとったんじゃ。   

 071202_1025~01


 その後、境内の撮影をしとると、鉄砲打ちの露店主に声をかけられた。

 「何撮ってるんですか?」

 「あの瓦屋根を撮っとるんじゃけど、手前に木の枝ぶりを入れて撮っとるんじゃ」

 「へえ、なるほど。おいらも昔写真を撮っとってた時期がありましたよ。でもなかなか上手くならないんで、途中でいつしかやめちゃったけどね。プロの方なんか?」

 「いいえ、いいえぜんぜんじゃ」

 「そうですか」

 「今日は何かお祭りでもあるんか?」

 「たんなる週末ですよ。この前の菊祭りでは、たくさんの人で賑わいましたけど、そんな時期ではないです。われわれにとってこの時期は、辺りを転々とする毎日ですよ」

 「そーゆやぁ、以前根津神社に行ったことがあるんじゃが、あの辺りも行かれるんか?」

 「もちろん行きますよ。あそこは、春頃がメインですから、その時期には必ず行きます」

 「たいへんじゃの」

 「まあ、仕事ですから。ところで、写真はデジタルなんですか?」

 「いいえ、フィルムじゃ」 

 「やっぱフィルムか。最近はデジタルが多いよね」

 「そうじゃのえ。まあ、ひとそれぞれ好みがあるけぇね」

 「それじゃあ、お邪魔したね。またこちらのほうに来たときには、よってくださいね」

 「はい、わかりました」

 あんなぁは、悠々とした後姿を見せ、仲間のもとに紛れてったんじゃ。

 071202_1026~03


 その後、境内を離れ、また春日通りを西に歩いてったんじゃ。

 本郷三丁目の交差点まで来ると、辺りが急に騒がしゅうなってきた。

 交差点を右に折れるとそこは本郷通りじゃが、その通りのすぐ一本目を左に曲がったんじゃ。そこは、狭い田舎道ゆぅた趣きがあったんじゃ。この辺りを菊坂ゆうらしぃんじゃ。

 その道をどんどん進んでいくと、左手に昔ながらのお肉屋さんに出くわしたんじゃ。 

 ちょうど、店先でコロッケを売っとったけぇ、ちぃとお腹のすいたオイラは、二個こぉてみた。気取らん店構やぁ好きなんじゃが、二個で180円の安いそのコロッケは、ちぃと脂っけがおゆぅて、ホクホク感が少なぁで。もちぃと硬めにあげてほしい気がする。まあ、この安さなら仕方がないかものぉ。

071202_1145~01


 その後、今回の文豪家を訪れる一番のメインどころの樋口一葉旧居跡に近づいてきた。狭い路地を入り、目的地を探すが、ぜんぜん見つからなぁで。 

 なんべん同じ道を往来しても、それらしい看板もなぁで。いったいどがぁなことじゃろう。辺りゃぁ、ひっそりとした下町の住宅街。趣があり、なかなかおもろい。

 071202_1202~01


 半時間ほど、周囲をグルグルして、ちさい案内所に地図があったけぇ、それでもっぺん場所を確認してみた。ほぃじゃが、オイラの地図とたいがい同じ。 

 しばらく途方にくれとったが、もっぺんぼちぼちと歩いとると、げに狭い路地の奥の方に写真で見た家屋が目に入ったんじゃ。

 071202_1220~01


 約1メートルほどのその路地の手前の右壁に目がいったんじゃ。

 “住民の方住んどるんじゃけぇの。迷惑のないようにお願いするんじゃ”

 どうやらこの奥に旧居跡があるらしぃんじゃ。オイラは、恐る恐る偲び寄ろうとしょぉったんじゃ。

 すると、いきなり後ろから自転車に乗ったおばはんが入ってきた。 

 オイラは、唐突にゆぅたんじゃ。

 「どうもこんちわ」

 「ああ、こんにちわ」

 「この奥でいいですかね」

 「はい、そうです」

 「この辺りゃぁ風情があるんじゃねえ」

 「びっくりするでしょ(笑)。奥もヒト住んでるんですよ」

 「えっ、マジですか?」

 カノジョは、ぼちぼち頭を下げた。

 そして、オイラはぼちぼちとご近所に迷惑んかからんように、忍び足で進むと、見えてきましたんじゃ。

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 その漆黒の家屋が何とも時代を感じさせますけぇの。しかも、今もそこに人が住んどるから驚き。 

 よう文化財にするパターンが多い中、いまも一般人が住んどるたぁ、これにゃぁ驚いた。

 有名な井戸も拝借した後、またぼちぼちと路地を抜けていく。やあ、ここを見つけるにゃぁ一苦労するじゃろう。

 さてさて、やっと一葉家を見つけた満足感の中、次は本郷館を目指すことにしたんじゃ。

 本郷館たぁ、明治38年にできた下宿宿のこと。今も現役じゃゆうのじゃ。本郷の入り組んだ坂道を辿っていくこと10分。インパクトのある三階建ての大きな古い木造建築が見えてきた。 

 部屋数何と70室前後あり、当時としちゃぁ、かなり大きかったんじゃろう。まるで、「千と千尋の神隠し」にでてくる銭湯みとぉな建物の入り口にゃぁ、見学お断りの看板が掲げてあったんじゃ。

 一葉家に続き、それまた人がいまだ住んどる。こりゃぁぜひ入居してみたいもんじゃ。

 さあ、ほいで、その宿に住んどるゆぅて思われる学生たちの職場にいよいよ向かったんじゃ。本郷ゆぅたら、ご存知日本最高峰の東大じゃ。 

 東大正面前にゃぁ、記念撮影をする観光客がえっと点在しょぉったんじゃ。いっちゃんケツの紅葉を楽しむ時期も重なり、構内に入っても、いろいろな訪問者が楽しそうに写真を撮っとったんじゃ。

 黄金色の葉をつけた木々の奥に大きな講堂が見えた。思わず、おおっと唸ってしもぉた。
ちょうど、安田講堂の前にゃぁ、ちぃとした芝生広場になりょぉって、その真下が食堂になっとる。

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 はじめて見る安田講堂は、ちぃと時計が新しい気がして、外してほうがいいかもゆぅて思うたんじゃ。ほぃじゃが、威厳に関しちゃぁ、かなり感じるもんがあり、今にも三島由紀夫が目の前に現れてきそうな気配すらする。 

 何かこの講堂を見ょぉると、エネルギーを感じてならん。毎日、このパワーをもらえる学生たちが羨ましゅう思える。まあ、オイラにゃぁ、無理じゃがのぉ。

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 さて、続いて東大見物じゃぁ、三四郎池を忘れちゃぁいけん。

 夏目漱石で有名なこの池。言って驚いた。なんて美しい池なんじゃろう。

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 時期もえかったんか、柔らかな太陽の日差しが、辺りに差し込んどったんじゃ。水上じゃぁ、鴨さんたちの群れが悠々とスケートを楽しむように湖面を滑っとる。周りを取り囲む木々にゃぁ、緑に黄色に赤ときれいなコントラスを描いとる。その木々の枝ぶりもそれぞれ特徴的で、写真にゃぁもってこいのシュチュエーションが揃っとったんじゃ。 

 あたぁ、その周囲に群れる人との葛藤だけじゃろう。

 わしは、太陽の日差しを意識しもって、どんどん構図を変えてひたすら撮ったんじゃ。

 やがて、空腹を覚えたけぇ、どうしえかゆぅて考えとったら、食堂があることを思い出し、講堂前の地下の階段を下りてったんじゃ。 

 すると、券売所がはぁ塞がっとり、本日の営業は終了の札が掲げられとるじゃぁないか。残念無念。

 その後、構内をぶらぶらすると、上野方面に向けて歩いてったんじゃ。

 構内を外れると、不忍通りを経て、不忍池に出た。こちらの池じゃぁ、大きな機械じかけの白鳥たちが、人を乗せて右往左往しょぉったんじゃ。

 池に架かる天龍橋を渡り、階段を昇って、アメ横方面に向かったんじゃ。

 週末のアメ横は、えっとの買い物客でごった返してしたんじゃ。そがぁな界隈の裏路地を歩いとると、飯田橋で発見した同じ看板を発見。

 カレー専門店 『クラウンエース』なんじゃ。 

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 そーゆやぁ、このカレー屋は上野が拠点じゃったんじゃ。オイラはすかさず入って見た。
自販機で、ハンバーグカレーを購入すると、一分もせんうちに料理が出てきた。何て早いんじゃろう。

 ほいで、待ちに待った試食。うう、辛い。

 辛さの中でも、コショウ辛いんじゃ。その辛さが強いために、味がようわからなぁで。ハンバーグはゆうと、どがぁにも安もんのパテじゃゆぅのがわかる。

 とろみや色のわりにゃぁ、あまりコクが感じらりゃぁせん。こりゃぁちぃとねえ。オイラの正直な感想じゃ。

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 まだまじゃ、カレーにおいてこれぞゆうのが見つけられとらん。まだこれからじゃろう。

 その後、買い物客に紛れ、品物を物色してみた。やっぱし、アメ横は安いんじゃぁないかの。このムール貝なんか、こんだけ入って400円だけぇのぉ。こぉてしまいそうになったよ。

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 こうして、アメ横をぶらついた後、また上野駅のぷらっとホームに向かったのじゃったんじゃ。
今回、湯島・本郷を散策したんじゃ。

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わしも湯島・本郷で考えた人間一生勉強せんといかん 

 そがぁな思い出新年を迎えたいゆぅて思う今日きょうびじゃ。ほいじゃぁ、今年でわしの出番は終わりじゃろう。来年もよろしゅうお願いするんじゃ。ほいじゃぁ、まことちゃんじゃったんじゃ。
ええお年を…」





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12.28 (Fri) 17:53 [ 未分類 ] CM2. TB0. TOP▲
 
 
 「みなさん今晩は。統括のフッキーです。 

 騒がしいクリスマスが終わり、いよいよ年末ムードに差し掛かります。   

 今日は、問題の薬害C型肝炎についてお話をしていただきます。今回は、政治部のタコ三宅さんに久しぶりに登場していただきます。それでは、三宅さんよろしくお願いします」




 「どうもお久しぶりです。三宅じゃあ。 
 やあ、いよいよクリスマスが終わって、年末が近づいており、国会は忙しくなっております。
 今回は、薬害C型肝炎の問題対応について触れておこうと思う。 

 いやあ、しかし、何とも対応の悪い話じゃないか。支持率が落ちたからって、掌を返したように手を差し伸べる。

 ホント、情けないったらありゃしない! 
 
 まあ、今回の最終決断に、被害者の方々は報われたけど、ちょっとちょっと待って。議員立法だって難しいこと言いよって!

 わが国では、法律を成立させるには、もちろん国会を通すんだがねえ。その法案を作成し、法案の提出権をもつのは誰だと思う? 
 
 日本では、内閣議員とされていて、内閣提出による場合を『政府立法』。議員提出を『議員立法』と呼んでいるんだ。その他にも、委員会が提出した形もあるけどね。

 しかし、日本の今の議院内閣制だと、政府と与党が一体化している場合は、与党の政策は政府によって法案化されるため、国会で制定される法案はほとんど内閣から提出されるのが現状なんだ。 

 議員立法は、ある一定の人数を満たした議員たちによって成立させた法案を提出して、法律化していくものであり、法律の発起人が違い、責任者も違うんだよ。

 今年話題の『消えた年金』の問題。実は、これも議員立法で七月に『年金時効撤廃特例法』なる法律を成立させているんだ。 

 この問題の提出者である広島の自民党議員宮沢洋一氏は、この法律をなぜ議員立法にしたかの質問の際、返答に困ってこんなことを言ってしまった。

 『政府の方に下請けに出しているので、政府の方から答弁させていただきます』

 オイオイ!議員立法の意味が違ってるよ。 

 そして、代弁者のあの女性差別おやじ柳沢が出てきてこう言った。 

 『時効の問題に迅速に対応するためで、中身的には政府・与党一体の案です』

 オイオイ!お前もおかしい。 

 いわば、議員それぞれが責任の擦り付け合いをしている構図なんだよ。 

 このように、国の責任を認めたくないから議員立法にした。と言われても仕方がないんだよ。

 よって、今回の薬害C型肝炎問題も国の責任と認めたくないから、議員立法でやりますってことに思われても仕方がないわけ。 

 のびた君が支持率の急落によって、切羽詰まった決断なんだけど、最後まで責任は明確にしたくないと言うのが、見え隠れしていて、何とも腑に落ちないね。 

 さあ、土俵際まで来た福田政権、これからどこまで押し戻せるのだろうね。 
 そんじゃあ、今日はこの辺で終わりとしますか。今年のわしの出番はまだあるんかなあ・・・」





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12.26 (Wed) 02:30 [ 未分類 ] CM0. TB1. TOP▲
 「どうもこんばんは
 統括のフッキーです。 
 いよいよ、今年も終わりに近づき、新年を迎えるにあたり忙しい日々を皆さんお過ごしではないでしょうか。

 年末のイベントと言えば、クリスマスや忘年会などいろいろとありますが、今回は、スポーツ界の一大イベントであります有馬記念について特集いたします。 
 一年の総決算であるこの大会は、今やどの大会よりも有名になった。そんなファンがの待ちに待った大会がまもなく行われますね。
今回は、運動部のダルムッシュさんに報告していただきましょう。それでは、どうぞお願いします」




 「みなさん、おばんです。はい、どうもダルムッシュです!お久しぶりです。
 さて、いよいよ今年もまもなく終わってしまいますね。
今日はそんな年の瀬の一大イベントである有馬記念についてご紹介しましょう。

 まずは、近代競馬についてお話しましょうか。

 はじめて日本で競馬というものが行われたのは、幕末の横浜でした。明治時代に入ると、皇室も積極的に関わるようになり、特に明治天皇は熱心だったようです。 

 馬は、古くから重要な武器として使われてきたけど、明治天皇は、何とか西洋に負けない軍馬を育成するために実施するというのが根本にあったそうです。 

 『博打は悪』という明治政府の基本方針の中で実施された馬券販売であったが、開始わずか二年で禁止になってしまったんですよ。 

 やはりギャンブルは所詮ギャンブル。賭けを伴う土壌がこの時期にはまだなかったのですね。 

 しかし、大正末に競馬法が制定され、馬券が復活。そして、昭和に入ると、日本ダービーの開催をはじめ、イギリスに習った体系が形づけられんだ。  

 そして、戦後の敗戦によって、軍馬は無用の存在になってしまうんだけど、進駐軍主催の競馬が開催されると、各地で競馬開きが行われ、制度も大衆的な娯楽へと改正されていったんだ。 

 こうして、昭和29年に農林水産省のもと特殊法人として日本中央競馬が誕生し、今日に至るってわけだ。 

 さて、続いては、有馬記念についてお話しましょう。

 初代の理事長には、陸軍大尉を経験した安田伊左衛門が就任したんだ。この人は、競馬法の改正や財政の基盤を築いた人だった。

 その後、競馬一筋の安田氏とは対照的に、ほとんど競馬には無縁であった有馬頼寧(ありまよりやす)が二代目に就任した。

 この有馬家は、大名華族の家柄であり、頼寧はお殿様であったのだ。 

 そんな家柄で育った彼は、大学を出た後、現在の農水省に就職。その後、お膝元の福岡から衆議院選に出て、見事当選。そして、第一次近衛内閣農林大臣にまで上りつめていくんだ。 

 しかし、戦前の日本での彼の立場は軍部と相容れず、軍部から目の仇にされてしまった。 

 そして戦後になると、やっと風向きが変わり、中央競馬の理事長に就任するんだけど、彼がまず、取り組んだのが、中山競馬場のスタンドの改修だったんだ。

 老朽化したスタンドを清潔で安全な観客席にするために、国庫の一時免除までして実現したんだ。

 また、彼はお客さんと同じように馬券売り場に自ら並び、ファンの立場の視線で見ることができる人であった。

 そんな彼の存在を今に残すことになった中山でのプログラム。

 当時、競馬界では、東京競馬場で行われるダービー、オークス、秋の天皇賞が大きな大会だったんだけど、中山にもダービーに匹敵するレースはないかと考えていたんだ。

 そして、彼が考えたのが、『ファン投票で出走馬を選ぶレース』

 これは世界でも類を見ない画期的な企画で、しかも年末に実施することで、総決算的な要素を交えて、実施される運びとなったんだ。

 こうして、昭和31年12月23日、第一回中山グランプリ(のちの有馬記念)が行われたのだが、有馬氏はそのレースを見た17日後、帰らぬ人となってしまった。

 彼は、在職1年9ヶ月であったが、成し遂げたことはあまりにも大きかったんだ。 

 このようにして、今年で52回目を迎える有馬記念は、『ファンの競馬』という日本の特質を最も表しており、世界にも誇れるレース。なんせ、アメリカの一番大きい大会であるケンタッキーダービーの売り上げの5倍もあるしね。

 この大会では、古くは、シンザン、ハイセイコー、そして、オグリキャップなどこれまでの多くの名馬を世に輩出し、忘れられない名勝負などたくさんある。

 芝2500mという特殊的な距離の中で生まれるドラマ。近年は、馬のレベルが均等化し、荒れるレースが増えている。

 一年を締めくくる年中行事がまもなくスタートします。

 さあ、今年はどんなドラマが繰り広げられるのでしょうかね。


 しかし、最後に一言あります。 

 ただ、競馬の売り上げは、払い戻し金に75%、経費に15%。残りの10%は国庫。国庫は、一種の税金であります。  

 競馬の売り上げが伸びると言うことは、政府が潤うということ。我々は、このことは忘れてはいけません。

 いまや、全国に40数件にまでウインズに代表される場外馬券売り場が存在するにまでなった。地方にいても、簡単に誰もが購入できるシステムを構築したのである。

 実は、この大会を一番注目しているのは、与党の代議士さんかもしれませんね。みなさん、ほどほどに楽しんでくださいね。 

 それでは、今日はこの辺で。ダルムッシュでした。バイバイ!」





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12.22 (Sat) 03:45 [ 未分類 ] CM0. TB1. TOP▲
「みなさん、こんばんは。統括部長のフッキーです。

しばらく風邪で体調崩しておりまして、久しぶりの登場で申し訳ありません。
さて、今日は今、問題の石油のお話です。 

先日、OPEC(石油輸出機構)から報告がありましたが、原油の増量は見送ると言う結果となりました。9月に決めた増量で充分間に合うという言い分です。しかし、消費国の立場からすると、肩透かしを食らった結果であります。今日は、経済部の森永ドラエモンさんからご報告お願いします。それではどうぞ!」




「こんばんは森永です。 
いやあ、近頃の値上げラッシュには参りますな。これに消費税の値上げなんかあったら、もう火の車ですよね。まあ、そんなこんなで今日はオイルの話をしましょう。

石油は、プランクトンなどの微生物や藻類などの有機物の死骸が地中に蓄積し、数億数千年とも言われる長い年月をかけて、地熱や油圧の影響を受け、化学変化してできたもとだと言われています。   

今では、人口衛星を使って地層を調査することができますが、それでも有力な地層から石油を見つかる確率は、3%くらいなので、その後の掘削費用を含めると、とてつもないお金のかかるプロジェクトであります。 

しかし、石油は液体なので、輸送面においては、利便性に飛んでいます。パイプラインも仕えるし、船舶も利用できます。

そんな便利な必需品の石油が、そもそもなぜこんなにも上がるのか?まあ、これにはいろいろな原因が考えられます。 

まず、石油価格の向上のきっかけを作ったと言われるのが、イラク戦争である。ご存知ブッシュ・ジュニアが石油の利権のために起こしたわけだけど、このおかげで、当時多くの石油を生産していたイラクの油田がストップすることとなった。 

一方で、アメリカのイラク攻撃に向けて、戦闘機や戦艦にはもちろん大量のガソリンが必要になってくる。こう見ると、彼はパパよりも愚かかもしれませんね。

まあ、そんなアメリカにべったりと市場の2・3倍もする原油を給油していた国も問題だけどね。

さて、こうして石油が高騰したわけだけど、さらに追い討ちをかけるのが、経済成長著しい国の登場です。そう、13億の人口のお国です。  

これまで、生活資源を石炭を中心に使っていた大国が、石油に急激な変わるわけです。しかも、この人口分ですから、そりゃ足りなくなるのは、当たり前ですよね。

10年前まで、天安門広場では、自転車が目立っていたのが、今では、車の渋滞ですからね。よって、中国政府が、どんなあくどい手を使っても、生活資源を確保することに躍起になっているわけです。

しかし、これらが大きな原因と言われているけど、実は本当の理由は違います。中国やインドなどのアジア圏における石油供給。実は安定しているのです。

まず、石油は、産油国が石油市場に卸します。

この石油市場は、欧米の主要七社からなるセブン・シスターズという石油会社が支配しています。

有名なところでは、モービルとかシェルなどです。

産油国からの市場への価格は、高騰していません。そう、石油メジャーが価格を上げているのです。卸から小売の段階で上がっているわけです。

その原因は、ファンドであります。

石油メジャーが、石油の価値を高めようと、商品として石油を販売し始めました。

その商品を法人や金持ちからお金を預かった金融機関が、石油を投資商品として扱っているのです。現在、地球の温暖化もあり、石油資源を必要とする人々は、もちろん多いわけで、値段が上がっているというわけです。

石油会社と金融機関は、自分たちの悪事がばれないように、産油国のせいにしているのです。

このような理由によって石油が高騰しているわけですが、この影響力は、あまりに大きすぎます。  

それは、ガソリンが上がると、輸送費が上がります。また、工場の燃料費が上がります。よって、生産されるすべての物が高騰するのです。 

一部の人間の儲け主義によって、多数の人々が苦しむこの構図。どっかの政党とその国民みたいですね。

そして、最後に一言。

限りある資源。大切に使わないといつかしっぺ返しが来ると思いませんか?

それでは、今日はこの辺で。ドカベン好きの森永でした」






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12.15 (Sat) 22:25 [ 未分類 ] CM2. TB0. TOP▲
「ご無沙汰しております。統括部長のフッキーです。
最近、何かと多忙で遅くなりましたことをお詫びいたします。さて、今日は、私の知人のお芝居のお話であります。しかも、今回は中継いたします。

芝居といってもコントなんですが、日々芸人生活として汗水を流しており、その姿をとくとご覧いただければと思います。
中継には、生活文化部のまことちゃんが行っております。まことちゃん!」

「こはい、まことちゃんじゃ!」
「今日は、よろしくお願いしますね」
「はい、わかりました」
「それでは、バトンを渡します」
「はい、みなさん、こんばんは。さて、今日は、上南沢の本田劇場に来とるんじゃけぇの。今回は、フッキーさんの知人じゃ芸人さん『むっちゃんふっちゃん』お二人の舞台じゃ。

会場にゃぁ、ぞくぞくとお客さんが入場しとり、ざっと200人くらいが今か今かと腰を据えとるんじゃけぇの。けっこう若い方多いようで、今後の活躍が楽しみじゃ。

おっと、天井のライトが落ちた。まもなく始まる模様じゃ。今日のお題は『猿の覚醒』ほいじゃぁ、みなさんも楽しいでつかぁさい。『むっちゃんふっちゃん』じゃ。どうぞ!」






解説者 「地球を飛び立った宇宙船ディスカバリー号は、エンジントラブルを起こし、とある惑星に着陸。乗組員の中で唯一生き残ったのが船長のチャールズであった。」

猿   「目が醒めたか?」
船長 「こ、ここはどこだ?」
猿  「何、ここは、俺たちの土地だ。ここでお前は何物だ?」
船長 「俺は、宇宙船に乗っているパイロットだ」
猿  「なるほど、人も木から落ちると言うもんだなあ」
船長 「えっ、それ少し違う気がするなあ」
猿  「何がだ。黙れ。お前をいけにえにするのだが、我々のモンキールールでは、男は丸焼き、女は捕虜としているが、お前はどちらだ!」
船長 「もちろん女性ですよ」
猿  「名は何と言う」
船長 「チャールズ子(こ)」
猿  「へんな名だなあ」
船長 「よく言われま~す」
猿  「お前のその左ポケットに入っているのはいったい何なんだ?」
船長 「ああ、これか。大切な家族の写真だ」
猿  「じゃあ、それをよこせ、早く」
船長 「もう、乱暴なヒト、いや、サルね」
猿  「何だこれは。お前の隣にいるのは誰だ」
船長 「嫁…」
猿  「ハッハッハッ!ほら見ろ。この嘘つきが、引っかかりやがった」
船長 「えっ!」
猿  「さっきからへたな人芝居しやがって。焼いて食ってやる!」
船長 「それを言うなら猿芝居だろう。都合のいい解釈して」
猿  「ええい。ごたごた言うな。これを食らえ。モンキーパンチ!」
船長 「お前、漫画家かよ」
猿  「今日はなあ、俺たちの直立記念日だ。あれを見てみろ。宴で盛り上がっているだろ」

解説 「猿たちは、盃をかわし、歌や踊りに酔いしれていた。この後、捕らえられていた船長は、酔いしれる彼らの隙を見て、何とか逃げることに成功した」

猿  「コラ、お前逃げる気か?」
船長 「豚じゃないから、丸焼きは御免だからね」
猿  「よし、わかった。去る物は追わずだ」
船長 「あばよ」
猿  「しかしお前、いったい何処に逃げるつもりだ。
船長 「そんなの知らないよ」
猿  「じゃあ、あの瓦礫を見てみろ」
船長 「な・な・なんで、あそこに自由の女神が倒れているんだ!」
猿  「これが、モンキーマジックだよ」

猿・船長 「どうもありがとうございました」







 ※ なお、当社の概要については、2007年9月28日の報告をご覧下さいませ。

 
 
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12.09 (Sun) 00:26 [ 未分類 ] CM1. TB0. TOP▲
  
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